札幌キリスト召団 惠泉塾
札幌キリスト召団惠泉塾

ここは病院でも施設でもありません。「では何ですか」と問われて説明しようとすると、これがなかなか難しいのです。このページからは、ギリシャ語でもヘブライ語でもなく、“神様語”の日本語訳で書かれてありますので、聖書的価値観に立ってお読みください。
 よく読み味わっていただくと、この生活共同体の本質が見えてきます。そこをよく知っていただきたいのです。それでは「惠泉塾とは何か」にズバリお応えする「惠泉塾のすべて」をお届けします。
牧師メッセージ(サンプル)はWAV形式(64kbps)に設定されています。サンプルを視聴する際にはWindows Media Player等のWAVを再生できるソフトウェアが必要になります。
風景
惠泉塾のすべて
1.なにをするところですか?
 ここは<人生の港>です。外洋の荒波に疲れた船が、港に停泊してホッと一息つくように、旅装を解き、安定した大地を踏みしめ、傷ついた船を修理し燃料を補給し、旅の目的と最終ゴールを地図を開いてもう一度確かめ、明日の出航に備えるところです。
 たった一度のあなたの人生をどう生きたらよいのか、「聖書」を基にして一緒に考えるところです。頭の先で考えるのではなく、異なる個性と共に暮らす「生活訓練」や具体的な生活を支える「労働」を通して、地域社会の実際の諸問題の中に身を置きつつ"体で考え"、語り合い、生き方の"改善を図る"ところです。

2.どんなところですか?
せいかつ・祈りの家JR余市駅から車で10分。港に近い小さな盆地のなだらかな丘陵地帯。丘の中腹まで登れば、遠く広がる雄大な山並みに囲まれた、果樹園を中心にした美しい田園のパノラマが楽しめます。
 川には鮭が遡上する姿が見られ、木々には野鳥の囀りが聞かれ、リスや野兎や北キツネが身近に現れ、ヒグマさえ時折すぐそばに出没したりします。
 早朝みんなで聖書を学び、昼間は額に汗して働き、夜はひとり静かに神に祈ります。
 個人の生活目標を立て、日記をつけて日毎に提出します。掃除、洗濯、炊事、健康管理は私たちの指導の下に自分たちでします。 日曜日の礼拝と教会の大切な行事には必ず参加していただきます。

3.どんな施設がありますか?
 生活の中心となる「惠泉祈りの家」、それに隣接して「プレ惠泉」、水谷家の指導の下に男子が寝起きする「惠泉庵」、職業訓練者の宿舎を兼ねた「ヴィタポート事務所」、老人と若者が互いに助け合いながら暮らす「惠泉・館」、それに「パン工場」「木工場」、それらの「管理棟(山荘)」があります。また、半独立の生活をしつつ塾活動に参加する「惠泉荘」と「惠泉ロッジ」、アパートの「惠泉荘」もあります。
 農作業のためには広大な「果樹園」、「野菜畑」、山羊や羊の放牧場となる40町歩の「山」、「鶏舎」、「大倉庫」、「冷蔵倉庫」が備えられています。

4.どんな人を迎えるところですか?
義務教育を終えている人、ここで暮らしたいという自分の意志を持っている人、保護者の理解と賛同を得ている人、塾頭の水谷の家族に馴染める人、持病を持たずに通院加療を必要としない健康で労働可能な人を歓迎します。通院治療を必要とする人は原則として入塾を認めません。年齢制限はありません。入塾の資格試験もありません。塾生の入塾は14人までです。
入塾には1週間以内の体験入塾と、3月1日に入塾し11月30日に卒塾する9ヶ月コースの本入塾があります。また、惠泉塾の生活についてゆけない人や体力に自身のない人のためには小集団でゆるやかなスケジュールの中で生活訓練し、本入塾を目指す「プレ惠泉塾」が用意されています。

5.入塾が許可されるまでにどんな手続きが必要ですか?
 まず塾頭の水谷との親子面談が必要です。面談で合格した場合、本人と相談の上で1週間以内の体験入塾の日を設定します。惠泉塾の生活に自信のない方はプレ惠泉塾の入塾からのコースをお勧めします。体験入塾後、本入塾を希望する方は、現在入塾している人々の状態と志願者の個性や状態、部屋の空き具合を考慮して許可を出します。
 体験入塾の様子を見て、この人には塾生活が無理だ、あるいは家庭生活を続けて問題解決した方が良いと私たちが判断する場合には、入塾をお断りします。しかし、その場合でも引き続き問題解決に参加する事は出来ますので、希望される方は、水谷の巡回伝道旅行先に来られて聖書の学びと相談の集いに参加してください。ご家庭に出向いて現場で直接問題解決に当たる場合もあります。
 本入塾生の選考と決定は1月中旬です。その後は空室ができ次第随時選考し決定します。尚、入塾についての詳しい案内は惠泉塾事務局まで、お問い合わせ下さい。
白い花の木、あんとえる、館応接室

6.どんな人が暮らしていますか?
 水谷家、塾生、塾生の保護者(奉仕者)、献身者、後継希望者、職業訓練生が共に生活しています。

7.いくらかかりますか?
 入塾する人は“生徒”ではなく、塾頭の水谷の家庭に迎える家族の一員ですから、入塾費や教育費、生活費などの経費はかかりません。ただし、私たちと一緒に働いていただきますが、それも“家庭教育”の一環ですから、当然、労賃は支払われません。塾生活をして感謝と喜びを味わった分だけ、教会に自由に献金し、神様に“お返し”して下さい。私たちは聖書の神様に養われて、皆様のお世話をする、という形で神様に仕えているのです。

8.どんな用意が必要ですか?
作業着、長靴、洗面具と着替え、身の回りの必要最低限の物とお小遣いだけを持って来て下さい。ラジオ、楽器、携帯電話、パソコンや聖書以外の書籍、新聞雑誌、大金も持込をお断りします。化粧品や趣味のものも持ち込み禁止です。《清貧・従順・貞潔》が私たちの守るべき信条です。
塾に滞在している期間は世俗を離れ、聖書の原理に基づいて暮らすために、妨げとなるものは極力取り除きます。

惠泉塾の生活 1日の動き
1日の動き
秋の葡萄
1週間の動き 惠泉塾の活動の特色
夕暮れ時
1.短期間の問題解決
 私たちの生活には特別の教育カリキュラムも訓練もカウンセリングもありません。4〜6時間/日の作業もゆったりしたリズムで無理なく行われ、80歳の老婦人さえ快適だと言っています。生活の中には笑いが絶えず、どんな人もその場の雰囲気に自然に溶け込み、「何てリラックスできる所なんでしょう」「違和感のない不思議な居心地の良さ」「心休まる所」との感想を大勢の方々が持たれ、驚くほど短期間に内面の変化を体験されるのです。それは私たちの生活が人間的な工夫に基づいたものではなく、主イエス・キリストを信じる信仰に基づいた、見えざる神の働きによるものだからです。

2.神による問題解決
 惠泉塾は聖書に基づいて“生き方の改善を図る”所です。改善の意思もなく現実逃避のために来る所ではありません。また、いわゆる施設や病院でもありません。ここは人生に苦しみ傷つき行き詰まったその原因を突きとめ、取り除き、新たなる価値観に乗り越換えて再出発するための、人生の波止場の“人間ドック”であり、どこまでも水谷の個人宅なのです。
惠泉塾は神の活躍される舞台。その主人は<主なる神>、医師は<主イエス・キリスト>、妙薬は<聖霊>なのです。信仰の大切さを認めなかったりキリスト教にアレルギーを持つ方には、残念ながら利用していただけません。信仰はなくても、最低限、キリストの治療を受け入れる心が必要です。

3.保護者の理解と協力
ジャム作り そこで私たちは保護者の理解と協力の必要性を痛感します。宗教的な違和感を持たれる保護者の子弟はお預かりできません。後日きっとトラブルの元になると予想されるからです。どんなにキリストの恵みの中で心身の健康を回復しても、帰る家庭に信仰的な受け皿が整ってなければ、もとの苦しみに戻るだけだからです。多くの保護者は、自分たちと無関係な外の世界の出来事として自分の子供の問題解決を図りたいと願いますが、子供の問題の根源には必ずと言ってよいほど、両親や家庭の抱える未解決の難問が横たわっています。その難問に手を触れずに子供の問題だけを解決することは至難の業です。
だから私たちは保護者に、子供と一緒に変わってほしいと願うのです。子供を私たちに託するだけでなく、ご自分をも私たちの指導に託する覚悟をしていただきたいのです。たとえ子供が20歳を超えていても、精神的には年齢相応に成熟していないから、苦悩に打ちひしがれていたのです。もう大人だから、と問題を子供だけの責任に押し込めず、ご自分の問題でもある、と受け止めて積極的に当塾の教育に参加していただきたいと願っています。そのためには最低限一度は入塾前に本人と共に塾に来て、私たちと会い、塾生活を体験し、ご自分の目で確かめていただきたいのです。

惠泉塾の人間教育の特色
1.早朝の聖書の学び
 参加者のほとんど全員が「聖書の学び」を「楽しい」と言います。初めて聖書に向き合う人でも数日のうちに聖書の面白さに引き込まれます。聖書は神(主体)が人間(客体)に語りかける書物だから、私たちは聖書を“神の側から”読みます。神の真意を汲み取るのです。神が私たちに何を願い期待し命じておられるのか、理解するのです。多くの信徒は読者の側から聖書を読みます。自分は神に何を期待でき、どんな恵みを約束されているのか、知りたいと思います。福音は人間にとって都合の良い助けでなければ意味がないと思い込んでいます。そして神を人の奴隷にしていることに自分でも気づきません。そんな「信仰」に神は応え給いません。私たちの祈りに、神がいつもこんなに鮮やかに応え給うのは、神を「天地万物の創造主なる神」として正当に遇しているからだと私たちは思っています。人間教育の土台は神を知ることにあるのです。

2.額に汗して、疲れるまで働く
 農業は“快食快眠快便”の健康生活に私たちを導きます。金儲けと無縁の純粋な農業は人に自然の摂理を悟らせ、創造主を実感させます。自然には多少の人の手違いにも一々目くじら立てない懐の深さがあります。農業は孤独な個人プレイよりも楽しい共同作業に適しています。みんなで心を合わせて協力しつつ働いた後の爽快感は筆舌尽くし難いです。そこから仲間意識が生まれます。助け合いの心地よさを味わいます。技術修得の意欲が湧きます。本気で働くのは実に気持ちが良いものです。人間の肉体は土を耕し草木の世話をするのを快く感じるように出来ているようです。過度の神経疲労は人を殺します。
学び、そうじ、さくらんぼつめる、さつまいもほり

製パン
製パン、木工 惠泉マナベーカリーは北海道産の原料と天然酵母を用いたパン作りを行っています。朝は早く、3時半には仕事が始まります。外がまだ暗い中、黙々と働く姿から、真剣に働き生きることを教えられます。原料をこね、発酵させ、成形し、焼くという一連の作業の中に、毎回、発見と驚きがあります。部屋中に香りが広がる中、期待を持って焼き上がりを待ちます。農園のぶどう、リンゴ、プルーンなどから天然酵母が育てられ、野菜畑のカボチャやじゃがいもがパン生地に練られ、食卓に出されます。大地の実り、手間暇をかける労働が人間の命を養ってくれることを教えられるのです。

木工
 惠泉ノア製作所は本格的な作品作りと共に、塾生の職業体験の場、また卒塾生の職業訓練の場としての役割を担っています。一つ一つの作品を作りあげる過程の中で、各々の個性が生かされながら作業が進められます。自分の心のほころびを責任をもって修復してくれる指導者の下で緊張をゆるめ、失敗を恐れずに挑戦すると、果敢な心が培われます。弱さや至らなさに葛藤しながらも作業を続けることで忍耐力が養われ、成長する実感を味わうことができます。木のぬくもりを肌で感じながら、自然の豊かさ、創造主の恵みを覚えます。そして実際に生み出された木工家具に囲まれ生活する中で、心に落ち着きが与えられ、自然の中で生きる心地よさに気付かされるのです。

3.温かい家族の団欒
 多くの人が人間関係でつまづいています。夫婦の仲たがい、親子の断絶、職場や学校でのいじめなど、みんな人間関係の問題です。不倫や家出、不登校・引きこもりも根本にこの問題が横たわっています。快い人間関係は愛に基づく関係です。愛は情ではありません。意志です。「相手を人格的に完成に導く」建設的意志です。相手がその人らしく花咲き、実を結ぶように手を差し伸べる奉仕者の意志です。奉仕者は奴隷です。己が身を捨てて相手に尽くす潔い意志の持ち主です。奴隷は主人に勝利をもたらすために命を捨て、主人の勝利の内に自分の命を見いだして満足します。奴隷は決して自己主張しません。
父母は子供の心身の成長のために命を削ります。子供は親が子供の成長を願って注ぐ愛によって成熟します。愛は忍耐と涙をもって慎み深く伝達されなければ効力を発揮し得ないものです。家族の団欒は自然な形で愛が流れる“憩いの水際(みぎわ)”です。そこに招かれた者は心ゆくまで乾いた心を愛の水で潤します。惠泉塾の特質を評して「温もり」と言い「この世的でないもの」と言う塾生たちの表現の奥にあったものこそ人の命に必須の家族的団欒だったのです。この団欒には突出した英雄はいません。それが又いいのです。
談話、犬散歩、ニワトリ世話

神の活躍舞台としての惠泉塾
1.神の活躍舞台
 心傷つき、病み、疲れ果てて癒されぬ人々が大勢います。みんな決まって誠実で生真面目で、汚れなき魂の人々ばかりです。現代医学の力及ばぬ領域に踏み迷って絶望の壁に向き合っているのです。精神科医でもなくカウンセラーでもない私たちに一体何ができるでしょうか。無力です。まったくの無力です。しかし、私たちが無力のどん底で神に叫ぶと、神は応えて下さいます。「人にはできないことも神にはできる。神には何でもできるからである。」と聖書が語っています。これが真実の言葉です。私たちは胸を張ってその証人であると言うことができます。私たちが自分の無力を自覚して神に一切を委ねる時、神は不思議を行い給うのです。神の貧者、霊的貧者になり切る時、私たちの人生が神の活躍舞台になるのです。

2.神が貧者を招くための惠泉塾
 神はあらゆる敵意の中垣を取り払い、全人類、全被造物を正しい秩序に納め直し、不滅の“神の命”に生かす、という壮大なご計画を推進しておられます。私たちの惠泉塾はこの壮大なご計画の中のごく小さな部署を受け持つ、裏町のささやかな修理工場のような所です。どんな問題でも持ち込める便利な町工場の存在は、熱心な愛用者の口コミで静かに「神に招かれている人」に知られていっています。これはラザロのような“神に愛された貧者”を天国に迎え入れるための“神のご事業”です。人間のためではなく、“神のため”の聖なるご事業なのです。人間の自己満足のために自分の夢や理想を実現する手段にすり替えることを許さない“聖なる領域”なのです。

3.福音の実証現場
 主なる神は、福音の力を今も実証し続けておられます。牧者である塾頭の水谷が主から賜った使命は時代の罪の沈殿した吹きだまりに身をおいて、そこから神に執り成しの祈りを捧げることです。聖書の神は全能の神です。神との正しい関係に立ち帰る者には、溢れる恵みを与えて下さる御方です。神の実在を知らず、身勝手な生き方を推し進めて疲れ切った人をお迎えして、キリスト中心の生活に連れ戻し、悔い改めた特選の民として神の祭壇に捧げ直すのが牧者の聖なる任務なのです。
 余市の惠泉塾は、神の恵みに満ちています。生きた福音が語られ、心の奥底から迸る祈りが捧げられ笑いに満ち感謝が溢れ、貧しくても不思議な平安が全生活を支配しています。この生活が、都会生活に馴染んだ人々に、久しく忘れていた人間としての大切なことを思い出させてくれるのです。余市で私たちと共に暮らす間に、みんな神の光に照らされて輝き、元気になっていきます。神様はどの人も輝く存在としてお造りになっていたのです。私たちが輝けないのは光から身を遠ざけて、自力で輝こうと努力しているからなのです。この世が教えてくれた常識をかなぐり捨て、永遠に変わらない神の言葉に忠実に従う、純朴で愚かな信徒の生涯を送り続けて、聖書の神が今も生きて働かれる《実在の神》であることを実証する意義を、私たちは新たな来客を迎えるたびに痛感しています。

惠泉塾で教えられること 塾頭 水谷 恵信
1.神と私と家族
 惠泉塾は人生の港です。単に停泊するだけでなく、燃料の補充や傷口の修理もする所です。さらに大切な点は、航海計画の根本的な見直しや乗組員の総入れ替えまでして、今後決して暗礁に乗り上げないで目的地に到達できるように、慎重かつ大胆に整備し直す所だ、ということです。私はその相談役です。右手に聖書、左手に経験知を備えて、様々な必要に応じています。その責任者は神です。私の妻はこの港の最初の利用者であり、その効力の一番確かな生き証人であり、協力者です。そしてまた、彼女と子供たちと私の織り成す家庭生活現場を披露することで、具体的な示唆を提供する貴重なモデルでもあります。我が家が理想的な家族モデルだというのではありません。現状がどうあろうと、それを神が取り扱っておられる、その神の御手を見せるための一つのモデルなのです。

2.隣人愛の効力
 聖書の「ルカによる福音書」10章にある善きサマリア人の例え話を読んで教えられることがあります。追いはぎに襲われて裸にされ、半殺しの目にあって路傍に放置された哀れな男を目にした2種類の人物が登場します。祭司とレビ人という宗教的特権階級と、サマリア人の旅人という当事差別と軽蔑の対象であった一般庶民とです。前者はこの男を見ても避けて通り、助けようとしませんでした。後者はこの男を見ると憐れに思い、近寄って、我が身が男の血で汚れるのも厭わず傷口にオリーブ油と葡萄酒を注ぎ、包帯をしてあげて、自分の乗る驢馬に乗せ旅の先を急ぐ事を断念して宿屋に連れて行って介抱し、翌日は宿屋の主人に金を渡して自分の代わりに介抱してあげてくれと頼み、不足分は帰りがけにお支払いしますと言った、というのです。
なぜこんなに違う対応があり得るのでしょうか。なぜ特権階級は心を閉ざし、一般庶民は心を開いたのでしょうか。祭司やレビ人は律法を学んでおり、弱者を愛すべきことは頭で理解していたが、実生活では体験がなかったのです。庶民の上に立つばかりで奴隷のように仕えることはなかったのです。愛は仕える事だと知っていたのは貧しい庶民の方でした。何もかも不足していた彼らは助け合わずには生きていけなかったのです。弱いもの同士助け合う中で彼らは大切な真理を学んでいたと私は思います。つまり、愛は、受けるよりも与える側に幸が多いということなのです。隣人愛に一歩踏み出す時、上から神の愛が内に押し寄せて来て、その人自身を神の命に満たすのです。塾生活で私もそれを学びました。

3.苦しみの役割
 なるべくなら苦しみは避けて通りたいものです。こんなに苦しむのなら死んだ方がましだ、とも思います。しかし、人は生きている間苦しみが付き物で、苦しみなしに一生涯を終えた人のあるのを寡聞にして私は知りません。果たして苦しみは厭うべきものなのでしょうか。苦しみなしにどんな成長もあり得ない、と我々は体験的に知っています。問題なのは苦しみの存在ではなく、苦しみを乗り越える方法が見つからないことなのではないでしょうか。永遠に乗り超えられないと思えるような苦しみが辛いのです。苦しみを乗り越える方法に2種類あります。一つは刻苦勉励して障害を取り除き、努力を積み上げて自分自身を高めることで乗り越える方法です。もう一つはこだわりを捨てることで、それが苦しみでなくなる、という方法です。私自身は前者を教え込まれ、それに習熟してかなりの成果を収めましたが、最後はこれでは駄目だと気づかされました。個人差はあっても結局この方法には限界があるのです。塾で私が薦めるのは後者です。人が苦しむのはそのこだわりがあるからです。例えば好きな酒が飲めなければ苦しいでしょう。愛する女と別れるのは苦しいでしょう。特権を失うのも富を失うのも苦しいに違いありません。みんなそこに執着があるからです。
 欲しい物は何でも勝ち取るという生き方は間違っていますから、苦しみよって妨げられます。神から与えられるものだけを何でも感謝して受け入れる、それが神の私たちに許された唯一の生き方なのです。

4.理想社会の姿
 私たちの先輩たちは暮らしやすさを目指して力走したように私は思います。そのために多くの発明をしたし、施設を建てました。便利で衛生的で快適に暮らせる都会社会ができ上がりました。しかし、それは軌道を外れずに元気に働ける間だけ楽しめる社会なのです。一歩軌道を外れ、健康を損なうと、締め出されます。社会は彼らを施設に送り込み、記憶から消し去ります。自分を疎外した社会を肯定し、憐れみを乞い頭を下げて施設からの返り咲きを願うのは何と屈辱的ではありませんか。神は全ての被造物を貫く秩序と調和の世界を企図されました。どんな生き物でも生活空間が保障され、食物を供給されます。弱肉強食は神の意図しない法則です。むしろ、愛に基づく協力関係が平和をもたらす社会こそ神の望みなのです。神が本来望まれた通りの社会へと私は社会の変革を願っています。

入塾の許可まで
惠泉塾は聖書に基づいて“生き方の改善を図る”所です。人生に苦しみ傷つき行き詰った原因を突き止め、取り除き、新たなる価値観に乗り換えて再出発するために“人生の波止場”として塾頭の水谷の家庭にお迎えします。改善の意志もなく現実逃避のために来る所ではなく、また施設や病院でもありません。心理学的なカウンセリングの立場もとっていません。パンフレット、ビデオ、著作、集会参加等により惠泉塾について理解を深め、惠泉塾に何を求めているのかを明確にした上で面談や入塾をお申し込み下さい。

1.面談

  1. 本人と保護者の面談が必要です。北海道の方は余市(月〜金)か札幌(金、土)で、北海道以外の人は毎月の巡回伝道旅行の先々で面談致します。(定期訪問先:東京、川崎、千葉、群馬、三島、浜松、大阪、京都/不定期訪問先:熊野、松山)
    面談のお申し込みは、各集会担当者にお願いします。
  2. 面談申込書に必要事項を記載し、面談希望の理由を書いて水谷惠信宛に届ける。入塾志願者は入塾願書も提出してください。現在、心身の病気がある場合には、医師の診断書と現在までの病歴も書き添えてください。
  3. 面談時、履歴書(写真添付必要)をご用意ください。
  4. 面談者は必ず、その日の聖書の集いにも参加し札幌キリスト召団の信仰を理解していただく必要があります。

2.体験入塾/プレ惠泉塾入塾

  1. 面談で合格した場合、本人と相談のうえで一週間程度の体験入塾の日を設定します。惠泉塾の生活に自信のない方は、プレ惠泉塾の入塾が勧められます。
  2. 入塾願書を未提出の方は提出してください。
  3. 病気がある人の場合には保護者が同伴しなければなりません。そうでない場合も、保護者が一緒に来て体験なさる方が塾の実際の様子がわかって安心だと思います。

3.本入塾

  1. 体験入塾後、本入塾を希望する方は再度面談が必要となります。現在入塾している人々の状態と志願者の個性や状態、部屋の空き具合を考慮して許可を出します。体験入塾の様子を見て、この人には塾生活が無理だ、あるいは家庭生活を続けて問題解決した方が良いと私たちが判断する場合には、本入塾をお断りします。しかし、その場合でも引き続き問題解決に参加する事は出来ますので、水谷の巡回伝道旅行先に来られて聖書の学びと相談の集いに参加してください。ご家庭に出向いて現場で直接問題解決に当たる場合もあります。通院加療をする人は原則として入塾を認めません。
  2. 本入塾が認められた方は入塾願書に必要事項を記入し提出してください。

入塾生は生活する上で必要最小限の荷物にまとめてくること。下着や着替えは2枚、上着はふだん着と労働着それぞれ2着まで。書籍は聖書以外は不要。化粧品や趣味のものは持ち込み禁止です。
《清貧・従順・貞潔》が私たちの守るべき信条です。

●入塾生の選考と決定は1月中旬です。その後は空室ができ次第随時選考し決定します。
●開塾日3月 1日/閉塾日11月30日
●必要経費:小額の小遣い、毎週の礼拝献金。
●退塾勧告又は命令

  1. 惠泉塾で暮らす意志・願望が希薄になったと見られる時。
  2. 長期間心身の健康を損ねて、療養が必要と見られる時。
  3. 異なる個性との共同生活がこれ以上無理と見られる時。
  4. 聖書の価値観に基づく生活を志す姿勢が見られない時。
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