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9月 夏の日の思い出 ~ ニューヨークから“あの余市”惠泉塾へ ~

この夏、初めて惠泉塾を3週間半体験した。とうとう“あの余市”に来てしまった。厳しい共同生活のルール、真夜中に始まる勉強、毎日の重労働…、嫌になるほど噂を聞いていたから、わざわざ自分を苦しめに行くのはまっぴらごめんだった。それなのに、お兄ちゃんの奥さんに「入りなよ、入りなよ」と勧めているうちに、自分も一度は経験してみようかという気持ちになって、わざわざニューヨークからこの北の果てまで来てしまったのだ。
私は小さい頃から神経質な性格でただでさえ生きづらかった。その上、我が家には、呪われているんじゃないかと思うくらい次々に問題が起きて家族が壊れていったから、「皆いなくなればいいのに」と、いつもこの世界を呪いながらここまで大きくなった。一度、悲しみと憂鬱の泥沼にはまってしまうと抜け出せず、自分の感情をコントロールできない。そんな自分が嫌で、家族の傷を癒したい、と心理学の本を読み漁った。クリスチャンになってからは、癒しと愛を体験できる場を与えてください、といつもメソメソ泣きながら祈っていた。
実際に“あの余市”を体験してみての感想は、体力的にとてもしんどい。無理して「大丈夫」と言い続けていたら倒れてしまった。今度来るときは「しんどい」と正直に言おう。
それでも、朝の学びに出続けたのは神様の視点から聖書を読むというスタイルがとても新鮮で面白かったからだ。3日目、「申命記」7章9節「あなたは知らなければならない。あなたの神、主が神であり、信頼すべき神であることを」が心にどーんと来て、ああ、私は神様を信頼していないんだ、そしてそれも神様にバレている、と知ってグサッと来た。
それからは“主を信頼することを学ぶ”をこの体験入塾の目標とし、とりあえずその姿勢を表すために、朝の学びに出ることを一日の最優先事項とした。あとの作業はどうなってもいい、滅びても良しとした。
「列王記」では、神様は大飢饉や敵の包囲という大ピンチを用いて、イスラエルの王の心を神に立ち返らせようとしたことを学んだ。そのとき、私は、父の再婚や兄夫婦の破綻など、我が家が最近さらに壊れたというこの悲しい出来事は罰ではなく、私を全力で取り戻すために神様がそれらの出来事を用いたんだ、と気がついた。
神様って方はそこまでして私を取り戻したいのか、そんなに私のことが好きなのか、大切なのか…、でも、もしそんな存在がいるのなら、私もその愛に向き合ってみたいと思った。
また別の日、神様が立てた牧者を信頼して従いなさいというメッセージがストンと来て、私も見えない神様を信じる第一歩として、まず見える水谷先生を信頼してみようと心に決めた。私にとって誰かを、しかも赤の他人を信じようと思ったのは初めてだったから、そう思うだけで緊張した。
余市での生活が2週間を過ぎる頃、気がついたら「入塾しよう」という気持ちに落ち着いていた。どうしてそんな気持ちになったのか、自分でもいまいちよく分からない。ただ、面談で木下先生にその旨を伝えたとき、「うん、それがいいね!」と笑顔で言われ、私も「そうだよなあ、それがいいよなあ」と思った。私のメソメソした祈りを聴いてくださり、ここに導いてくださった神様に感謝が溢れた。
この秋から母と妹と3人で本入塾するため、一度ニューヨークに戻り、アパートを引き払ってくることにした。9月から進む予定だった大学院を断り、奨学金としてもらった小切手も返す。荷物を二つのスーツケースにまとめて、なるべく急いで余市に戻ってきたい。
私はこれからどれくらい余市で過ごすのかなあ…。おそらく、アメリカの友人や東京に住む父がこのことを知ったらすごくびっくりするだろう。歴史か心理学の教授になって好きな研究に没頭し、静かな書斎で本をたくさん読んで文章を書く、という私の描いていた人生設計は、この数週間でいっぺんにひっくり返ってしまった。私だってびっくりしている。
神様が私を取り戻したかったこと、そして、私に人生の目的を用意していることを、この余市で知った。「身を任せていいんだ。私は従うだけ、天のお父さんが責任をもってくれる。これからは、神様が言われることに何でもハイと言おう。」素直にそう思えた。
まず、余市に引っ越してくること、塾生として入塾することに「はい」と言ってみた。そう返事をしたら、身体から力が抜けてしまい、3週間せき止めていた疲労がどっと来て、せっかくの海水浴でのラム肉が全然食べられなかったのがとても残念だ。
惠泉塾の皆様、特に祈りの家の皆様、大変お世話になりました。こんな私ですが、これからどうぞよろしくお願いします。

(安間裕璃恵 2019年7月30日 惠泉塾「宿帳」より)