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5月 新調のカーテンに風みどりの日 ~都賀から余市惠泉塾へ 舟山亮さんの証~

2018年9月26日(水)朝7時過ぎ、突然、水谷先生からメールをいただきました。「最高司令官である天地万物の創造主、主なる神様からの厳命をお伝えします。木下肇さんの後継者にあなたが任命されました。」
かつて、このようなお話を先生から伺ったことは一度もなく初耳でした。このとき私は、まことに不従順ながら「どうやってお断りすればよいか。先生に諦めていただくためには相当な対策が必要だ」と逡巡しました。
しかし、最初のメールから数分後にいただいた先生のメールで、この間に試行錯誤したお断りの理由は、神様の側から見れば全く意味をなさないものに変わりました。生死を分ける数分間、私は愚かにも「死」の側にいました。メールは「この人選は人の知恵によるものではありません。厳粛にも神によるものです。だから断る余地がありません」でした。
そのとき私は、神様からの厳命を自分本位に捉えている愚かさ、不信仰に気付かされました。神様は天地万物の創造主ですからおできにならないことは何一つなく、したがって私の足りなさ、至らなさ、愚かさなど先刻ご存知のはずです。その上で神様が私に命令されていることなのですから、責任主体はもはや私ではなく神様の側にあります。であるならば、素直に自分を諦め、先生の生き方に倣い、先生の信じる神様に全く信頼し、命令に従うべきだと決意しました。先生には「厳粛に受け止め、お従いいたします」と返信しました。先生からは「私は神様の人選に全く感服し、平伏す思いです」と、いただきました。

私はこの3月末に職場を退職し、サラリーマン生活38年間を終えます。私にとって仕事は最も大切なものでした。家族の経済を支えてきました。達成感もありました。人の評価も得ました。また、退職すると知った多くの方々は私を、仕事を途中で投げ出した無責任な者としてではなく、組織に必要な人材として、定年前に辞めることを惜しんでくださいました。
しかし、職場の評価はサタンの評価であり、職場生活には定年があり、いずれ終わって朽ちます。また、「去る者は日々に疎し」です。名残り惜しんでも、いずれ忘れ去られます。
また、私は仕事のために家族を犠牲にしてきました。子どもたちが幼い頃から成長期に至るまで、親としてまともな生活を見せてきませんでした。名ばかりのサンデークリスチャンで正しい信仰もなく、したがって召団の信仰に裏打ちされた生活もありませんでした。まず親が神様の創造目的に沿った人としての正しい道を歩まなければならないにもかかわらず、それを行わず、模範を示してきませんでした。
そのため、長女は高校不登校になり、先生と惠泉塾の皆様に助けていただきました。また、献身者を辞めてしまった二女は、神様の守りの囲いの外にいながらにして、今も先生を通して神様の御愛の内側に入れていただいています。
このような者が、4月から余市で、感動の多い、朽ちることのない、神様のお仕事をさせていただくことになっています。責任は神様がとってくださいます。私はただお従いするだけです。まことに畏れ多く、感謝なことです。

「わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。私はあなたがたを友と呼ぶ。」(ヨハネによる福音書 15:14~15)

(2019年3月3日 関東合同礼拝での証言より抜粋)