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12月 札幌キリスト召団の福音に触れて ~ ある青年の葛藤と格闘の記録 ~

私は惠泉塾へ来て共同生活に放り込まれて初めはいたく戸惑った。今まで自宅で食事も掃除も学びも研究・作業も基本的に一人で行うものだったのに、ここはすべてが常に誰かと一緒だ。私は個人主義の塊のような人間だったから、これには閉口した。また、何かに付けて「互いに愛し合う」というフレーズが聞かれるのにも辟易した。この言葉に空々しさと嘘くささを覚えていたのだ。クリスチャンの癖に、「互いに」何かをすること、また「愛し合う」こと、つまり、必要を補い合うことを、違和感なしには考えられなかった。
水谷先生に「君とは信仰が違う」と言われ、木下先生にも「信仰が観念的」と指摘された理由はどうやらこの辺にありそうだと気づいたのは、秋も深まり初めた頃のことだ。もし、私が神を信じているなら、神によって新生させられているなら、同じようにして生まれた兄弟をも愛するはずだ。見える兄弟を愛していない者が、どうして見えない天の父を愛せるというのか。つまり、私はまだ新生しておらず、救われていなかったのだった。
それからというもの、私の葛藤と苦悶はさらに深まった。早朝の大倉庫での祈り会や朝の聖書の学び会での祈りは、毎度毎度絶叫に近い激しさをもってした。断食しつつ、密室で祈り込むこともしばしばだった。私は何としても観念的な信仰からの突破と聖霊の次元への突入を得たかった。涙は涸れ、喉は痛め、周囲の反応も「またか」とうんざりされるほどになっても、それでもあきらめきれずに求め続けるほかなかった。これが、人生で行き詰まった私の唯一の光明であったから…。
無事、この求めに対して神から答えがあり、一件落着と行けば話は綺麗にまとまるのだが、実際は今も未解決のままだ。門は閉ざされたまま、今も私はその前に立って扉をたたき続けている。それでも、最近、ほんのわずかに希望の持てる経験をしたのでここに記しておく。
さんざん神に向けて絶叫するのも疲れ、いい加減、もうどうしていいか分からなくなって、ひとまず寝ようと思っていたときのこと。ふと思い返して少し小池辰雄の『聖意体現』を読んでみる気になった。そこには「修養や神秘的体験といった方法で自己を否定しようとしても結局は自己を肯定することになる。自我を捨て去り、観念的な信仰から脱皮するには、キリストの十字架において自分が否定されていることを受け取ることだ」とあった。そこまで文字を追って、やっと気がついた。救いは私の絶叫によるのではなく、イエスによる、と。
私の側から天の父に近づこうとするあらゆる努力はむなしい。かえって、御子の方から私のもとへ近づいてくださったのだ。そこまで思いが至ったとき、不思議に胸の辺りに感謝と開放感を伴う温かい気持ちがこみ上げてきた。そして、間をおかず、すぐに今まで自分を苦しめてきた人たちを心から赦し、祝福することができた。それも、何の努力もなしに…。それは、私の「信仰」の世界に他者が登場してきた最初の瞬間でもあった。
余市に着いたとき、私は聖霊さえ受ければそれで一丁上がりだと考えていた。しかし、そもそも私は新生さえしておらず、信仰義認をも、体感的には知っていなかったのだ。だから、他の人を愛するとか、敵を赦し、祝福するとかは苦々しい思いなしにはできず、また、違和感を覚えることだったのだ。イエスの方から私のところへ来てくださって初めて、他人へと目が向くようになったのかもしれない。
私はまだ救いを得ているわけではない。ただ、獲得するようにと主が捕らえてくださったのだ。私はやっと一筋の光明を見いだした。

(余市惠泉塾:伊東啓一)