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11月「第22回沖縄セミナー」~ 舞台裏でも働かれた偉大な神様 ~

2019年10月15日から4日間、「沖縄の未来と聖書の希望」をテーマに第22回沖縄セミナーが行われた。初めて水谷幹夫先生、大澤憲一先生が沖縄に来られたのは2005年のこと。水谷先生がこの沖縄に惠泉塾をつくることを宣言されてから14年、大澤憲一先生をリーダーとする遠大な神様のご計画は、当事者であられる神ご自身によって力強く推進されている。大宜味村に2万8千坪の広大な土地を与えられた沖縄惠泉塾の構想は広がり、精神科クリニック、訪問看護ステーション、老人デイケア施設、そして30人の共同生活が可能な居住棟を有する、余市に次ぐ大規模な複合施設の建設へと発展した。
今回のセミナーでは、惠泉塾の活動に賛同する人やその働きを支援する人、惠泉塾に暮らす人々を対象に、日本キリスト召団・惠泉塾・ヴィタポートの案内、沖縄の現状と今後の展望に関する話し合い、一般講演会、伝道集会などが行われ、心を一新される集いとなった。そこに働かれた偉大な神様は、また、舞台裏でも活躍されていた、という一つの証がある。
沖縄県浦添市の赤嶺正三さん(81歳)は2011年に召団に入会して以来、ずっと沖縄セミナーに参加し続け、惠泉塾で今何が起こっているのか、神様の愛がどのように働いているのかを学び、この働きへの参加を願って夫婦で沖縄惠泉塾活動に携わってきた方である。
その正三さんの話によると、右手の痺れという異変が感じられたのはセミナー開催前、13日の朝だった。そして、セミナー最終日の18日、「沖縄親父の会」があり、会場の開店を待つ間、駐車場の大澤先生の車中、水谷先生と三人で会話する機会が与えられた。以前から正三さんの体調を気遣って心配してくださる水谷先生が「赤嶺さん、元気だね」と声をかけてくださったので、正三さんは「ありがとうございます。今後、私の身体にどのようなことが起こっても、医療に頼らず神様に全く委ねることにします」と先生に告白したそうだ。
翌19日、翌日の主日礼拝のために愛餐作りをしようとしたが、痺れが指から肘にまで広がり、夕方5時頃には口から言葉が出なくなった。妻が祈り、落ち着いて少し話せるようになってから娘を呼んだ。すぐに医者を呼ぼうとする娘に、自分はこのまま神様に委ねるから呼ばなくていい、と告げる。娘が父親を説得してもらおうと大澤先生に電話で連絡したところ、脳梗塞の症状だと言われる。しかし、医療を拒む正三さんの決意は固い。結局、先生から患部を動かし、経口保水液で水分を取るよう指示があり、しばらくして症状は治まった。正三さんはそのとき、神の御手が働いていることを感じ、癒しを感じて神に感謝したという。
そしてその夜、口のきける間に、と長男夫婦を呼び、「日本キリスト召団の信仰に生きる者として、私の身体に関する医療など全て、健康の回復とか延命治療とかに一切手を尽くすことはしないように」と伝えた。また、「命は神様のご意志であり、生きるも良し、死ぬも良し。今生かされている命を、キリストのために生涯、一日一生として仕えていきたいと願っている」とも伝えた。土地問題もあって固い表情だった長男の心は、話すうちにみるみるほぐれ、神に頼る父親の姿を見て驚くとともに、そこに両者の和解が生じたそうだ。
20日の朝、また呂律が回らなくなり、右手と左足膝下の痺れが生じる。が、日中は治まったので、主日礼拝にも参加することができた。
このように、愛餐を作って礼拝を守り、セミナーに参加し、命の支配者であられる神様にすべてを委ねて生きる者を神様は軽しめられず、深く憐れんで癒しを与え、神の愛を見えるかたちで示してくださった。この出来事を通しても、彼らは目で見て耳で聞いて手で触れて、生けるまことの神様を知ったのだ。ハレルヤ。