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10月 死を受容する信仰

1982年に小池辰雄の宣言によって設立された札幌キリスト召団ですが、この年、水谷師は終末啓示を受け、

高校教師と家庭集会の双方に身を置く中で、愛の実践現場を職場と教会をつなぐ架け橋的な活動に求めておられました。1984年の「看護と福祉のための葡萄樹の会」の発足は、キリスト教信仰に基づく愛の奉仕者としての看護師を生み出す営みのスタートでした。その頃の集会週報は「葡萄樹の会」という名の、会報を兼ね備えたものでした。これが「聖翼の蔭」の前身です。そして、現在のヴィタポート マリア訪問看護ステーションのルーツも実はここにありました。聖霊に呼び出された愛の奉仕者を与えてくださいと、無から有を呼び出される神を信じて祈り、師は看護の仕事に近づいたのです。  先月、9月6~8日に行われた「第7回看護・介護セミナーin余市」は、「ヒューマニズムVS神の愛」をテーマに、聖霊に呼び出された多くの魂を熱く燃やし、人生の波止場「惠泉塾」から発信する信仰・生活・仕事にわたって真理を分かち合うセミナーとなりました。一人のキリスト者の真実な祈りは、20年の歳月を経て今、大きく花開き、愛の実りをつけようとしています。当時から一貫して「私の任務は、どのような形にせよ心身に弱さを覚えていらっしゃる方々の友となって、真の慰め主なる神のもとにお連れすることだ」と明言して歩み続けた師の信仰は、今、(株)ヴィタポート20部門以上の働きを生み出しています。師が愛した看護の仕事だけにとどまることはありませんでした。このことを通しても私たちは主の御心だけが成るのだ、と信じることができます。    最後に、1985年8月26日「葡萄樹の会」に掲載された師の文章を抜粋して紹介します。  「私は、健康な者も死に直面して立たされている存在なのだから、今、この場で肉体の死を受容することを学び、永遠の生命へと踏み出すことを実践すべきだと思います。しかし、それは人間的決心では長続きするものではありません。雨宮兄(注)の記録の中の重要な箇所は、昭和48年『こだま』車中の懺悔の祈りに伴った聖霊の包摂と神の御声『私を信じ、私に任せよ』であり、昭和57年クリスマスの天来の御言『お前を赦し、時を待った』です。神に全身全霊を捧げ、生活全てを神の御旨に委ねよう、との信仰によって賜ったこのような天来の恩寵こそ、『死の受容』を可能にする必須条件だと思います。私共の使命は健康なうちに恩寵によって捨て身の信仰の実践に立ち上がることです。」  (注)『この一日を永遠に―ガン闘病ホスピス日記―』(キリスト新聞社)の著者