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1月 人生目的が分かった人の姿 ~2016年11月丹波教会礼拝メッセージより~

悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によって洗礼を受け、罪を赦していただきなさい。そうすれ

ば賜物として聖霊を受けます。(使徒言行録2:38) 「悔い改める」とは何か。世俗的な生き方から聖書的な生き方へと人生の向きを変えること、すなわち方向転換することである。「罪」とは、神に背を向けた生き方、すなわち神の期待を無視して自分勝手に生きることである。 現代日本はまさに罪の世であり、欲望の充足こそが幸福の基準であると考える、ラクしてトクしたい人に満ちている。彼らは「でも、なぜその生き方をやめないといけないの?」と言うだろう。弱さを隠してオールマイティーであろうとし、勝者目指してしのぎを削る。大多数の敗者は、弱肉強食の世界で生きる意欲をなくしたり、希望を失ったりしている。現実逃避、犯罪、心の病、自殺…へと、自ら転落していることにすら気づかない。助け合わない、世俗的な、自己責任の生き方の行き着く先は絶望でしかない。 神に背を向け、神を無視したこのような生き方を180度変え、聖書の薦める生き方に方向転換することによって何が起きるのか? 聖書は4つのことを教えている。① 真理を知る(Ⅱテモテ2:25)。② 罪が赦される(使徒3:19)。③ 救われる(Ⅱコリント7:10)。④ 実を結ぶ(マタイ3:7)。  先日、沖縄から余市惠泉塾へやって来た仲吉紀朝さんの身に起こったできごとは、このことに深くかかわっていた。彼は1年ほど前に余市惠泉塾を逃げ出し、もう一度招かれた人である。今回、体調不良を押して塾生活をしていたところ、末期のすい臓がんが見つかり、余命1カ月と診断された。すぐに沖縄に帰って治療を始めることになるが、彼は抗がん治療をするより私に祈ってほしいと申し出た。11月3日、願いは叶えられ、祈り会が開かれて関係者10数名の熱い祈りが捧げられた。席上、詩篇91編を朗読し、「私の救いを彼に見せよう!」と一途に迫る神の愛と、この神を味方につけて救われる者の幸いを説いた。そして、「あなたはクリスチャンであっても、自分勝手な生き方を続けて神を悲しませた。もうそれをやめなさい。神と契約を結び、神の子として救われているのだから。もし今、神を味方につけることができるなら神は赦してくださる。遅すぎることはない」と、仲吉さんに悔い改めを迫った。それから病の癒しを祈った。  沖縄に帰って1ヵ月。悔い改めたとき、何が起こったか。私たちはそこに人生目的が分かった人の救われた姿を見た。家族や関係者の報告によると、10の痛みが1になり、夜はぐっすり眠れ、2時から起き出して詩編91篇を読み、書き、暗唱しているという。聖書を始めから読んでいる。目が生き生きと輝いている。「前は、何もすることがなかったから酒飲んでいただけ。今はすることがある。時間が惜しい」と言っている。何という晴れ晴れとした顔…。これが余命1ヵ月と言われたがん患者か!と訝しまれる、ということだ。 悔い改めは人を造りかえる力である。新しく生まれ変わるとはこういうことだ。これは理論ではない。本気で神に向き合って決断するなら、癌でありながらなお、表情明るく目を輝かせ、晴れ晴れと生きることができる。今、彼の内に、悔い改めた者の姿を見る。