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5月 水谷幹夫先生が渡してくれた命のバトン ~元塾生Oさんの報告より~

本日、職場の上司より命令が下りました。
現在、私たちの宿泊施設で療養生活を送っている新型コロナウィルスの感染者をケアする看護師さんたちを、送迎する役目を引き受けてもらえないか、とのことでした。
私はその役目がいずれ来ることを覚悟していました。なので「はい、分かりました。大丈夫です」と笑顔でお引き受けさせていただきました。私も濃厚接触者になるかも知れない。しかし、この任務にあたり、私は今、少しも怖くないのです。万一コロナウィルスに感染してしまったとしても、周囲への影響は心配ですが、私自身は全く怖くないのです。そして、万一の結果になったとしてもそれでよいと思える自分がいます。そのときはきっと神様が「戻っていらっしゃい」と仰っているときなのだろうと思います。

ああ、水谷幹夫先生、百合惠さん、見ていますか? あなた方のまいた福音の種が芽を出しましたよ。私があまりにかたくなで愚かであったため、こんなに遅くなってしまいましたが…。冷静にやり遂げようと思います。しばらくの間この任務は続くのですから。でも大丈夫。隣人愛のために体を張っておれば、聖書の神様は絶対見捨てたまわないのですね。
水谷先生も先頭に立って戦っておられます。私は惠泉塾からの脱走を繰り返していたから断片的にしか見ていませんが、少なくとも私が水谷先生とお出会いしてから今日まで15年間闘ってこられたし、今日も闘うでしょう。
木下先生も現場で戦ってこられました。これも15年…、私は知っています。ほかにもいろいろな方々の名前が思い出されます。みんな、闘っているのです! コロナウイルス以上の存在者、最強の敵と!
私だけ、逃げてきました。この15年間。しかし、それももう私にとっては変えられないことです。自分を責めることは、このコロナ騒動が終わってから、するならすればいいと思いました。今、眼前の患者さんや医療従事者の皆さんのために、私は主にあって闘おうと決めました。
残念ながら、脱走常習者である私には、十分に惠泉塾の教育を受けていないという事実があります。しかし、それが何だ。惠泉塾のスピリットは何だ。何のために学んできたんだ。要は何のためだ。―― 見えざるお方からそう言われたような気がします。
この日のためだ! ここで逃げれば、その怯懦をサタンはあざ笑い、神の旗にまた泥を塗ることになるでしょう。ここで自力に頼れば、再び逃げてしまう結果になるでしょう。
水谷先生のニュース・レターの中の一文を思い出します。
『絡みつく罪をかなぐり捨てて、いざ出陣 ― 』
聖書の神様、主よ、どうか我がうちにあって共に働いてください。この者は道具に徹します。そして、あなたが勝利してください。いつも我がうちにあってください。
惠泉塾に関わるすべての人に敬意と感謝を込めて。主の御名によって祈ります。アーメン