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3月 ある主日礼拝でのお証しから

 私は本物のクリスチャンになりたいと、ここ余市惠泉塾へ来て10年目を迎えます。この10年、神様が私に

してくださったことを思うと、あまりにいろいろなことが怒涛のごとく思い出されて、ひっくり返ってしまいます。神様は私に命を与えてくださったのだ・・・という思いに圧倒され、涙があふれるばかりでそれ以上何を言えばよいのか少しも筆が進まず、苦労しました。命、具体的に言うと、神様は、生活、仕事、家族、すべてを与えて、この10年、神のために生きるという大切な人生の土台を据えてくださったのです。  私は2年前に父を亡くしたとき、とても切なくて、これからはお父さんというお父さんは全部、私のお父さんということにします、と祈ってしまいましたが、神様は水谷先生始め、本当に霊のお父さんをたくさん与えて私を慰め、癒してくださいました。  それで、解放と勝利をお証しできればよいのですが、今の私には、自分が明らかに破れており、弱さを自覚できるようになったという証ししかできません。自分の至らなさを自分で責めて自分のことばかり見つめてしまいます。やはり私の中には、献身的で役に立つ者でありたいという思いがあり、現実とのギャップにストレスが溜まり、時々抑圧している欲求が爆発し、明らかに神様に喜ばれない貪欲(買い食いや盗み食い)に走っては後ろめたい気持ちで祈れなくなり、ますます自分を責める悪循環に入り込みます。  私の父も生きづらさの中で鬱になり、パチンコ依存症になりました。そんな自分を自分で責めて、その罠の中で亡くなってしまいました。今はその父の苦しみを自分のこととしてよく分かるようになりました。自分の病気を認めることができない父のどん底の苦しみを見た私としては、正しく病識を持ち、自分も依存症であることを受け入れる大切さを知りました。こうして皆さんに公表して、理解と強力をお願いできることはありがたいです。  献身的で妹思いのお姉さんという仮面がはげて、背伸びができなくなった自分の姿は、病んで破れて恥ずかしいですが、ほっとします。こんな私を誰も軽蔑することなく、育てようとしてくださることが本当に感謝です。正直な自分のありのままでいられることには、何と素朴で本質的な喜びがあることでしょう。サタンは私たちを強く立派な人間になるようにと、自己実現の道で騙してきますが、惠泉塾では、弱い者同士一つとなって同じ共同体のために尽くす生き方が本当の幸せであると、こんなにもナマで体験させていただきました。苦しんだけど、感動に満ちたこの歳月を、神様、ありがとうございました。【写真:剪定風景】