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聖書随想~虫けらこそ神の愛の的

(ヨブ記第25章)

 

神の御前でなくとも、人の前でも「自分は生涯、過ちなく生き通して来た」と胸を張って弁明することはできない。欲望と野望に満ちた若い時代を神の御旨のままに献身できたと言い得る人は少ないだろう。

「全ての人は罪を犯した為に神の栄光を受けられなくなっている。」(ロマ3:23)とパウロが言った通りである。「うじのような人、虫けら同然の人の子」と言ったビルダデの人間認識は正しい。しかし、その虫けらを神は天使以上に愛され、その虫けらに神の栄光を映そうと、唯一人子の主イエスを犠牲に供された。「永遠の聖霊によって御自身を傷なき者として、神に捧げられたキリストの血は、なおさら私達の良心を清めて、死んだ業を取り除き、生ける神に仕える者とする。」(ヘブル書9:14)生ける神に向き合いたい、と願ったヨブの思いは、イエスの十字架を通して私共に今開かれている。私共が虫けら同然との自己認識に立ってキリストと共に十字架で死ぬことによって復活の命に与る。